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「商品に自信がありますか?」と聞かれたら、迷うことなく「自信があります!」とこたえます。
和田珍味では、お客様に食べていただけるという喜びを心に留め、製品作りに少しの妥協も許しません。
私たちがお客様のためにできることは愚直にうまいもん作りに取り組むことです。
和田珍味が作る商品は、「うまいもん」でなくてはならない。
なぜ、和田珍味が一所懸命に「うまいもんづくり」をし続けているのか?そこには、大きな理由があります。 |
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山陰では、数多くの美味しい魚が水揚げされます。全国的に島根県で有名な港と言えば、のどぐろで有名な「浜田魚港」があげられます。また、島根の隣、鳥取県の「境港」も有名な港です。
和田珍味は、島根県大田市の西端の五十猛(いそたけ)にあります。はるか昔の神話の時代にスサノオノミコトとその息子である五十猛命(イタケルノミコト)がおりたったこの由緒ある地にも豊かな日本海が広がっています。ここ五十猛にも港がありますが、まったく有名ではありません。
石見銀山を支えた五十猛の海
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和田珍味の製品といえば、「ふぐ」。なぜ、島根でふぐなのか?ふぐと言えば、下関が思い浮かぶと思いますが、実は、和田珍味の目の前に広がる五十猛の海でも、昭和20年を前後にふぐ延縄漁が盛んに行われていました。
大量のふぐの水揚げとともにふぐの魅力を知り尽くした和田珍味では、ふぐの上品な美味しさを食卓に届けたいと来る日も来る日も研究を重ね商品開発を行ってきました。和田珍味の創立者和田正治は、何千回ともなく試作を重ね、ある日とうとう、和田珍味の顔ともいえる「ふぐの味醂干」が完成したのです。
「これなら、お客様に喜んで食べてもらえる!」
と完成した製品を食べてもらうために営業に回りました。
「島根の五十猛?聞いたことない港だな・・」
「島根でふぐの加工品?何それ?」
「ふぐといえば下関のとらふぐでしょ?」
「浜田港」というブランドはあっても、「五十猛港」というブランドはありません。
和田珍味のふぐ製品には、「下関」というブランドも「とらふぐ」というブランドもありませんでした。 |
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営業で何度も聞かれる五十猛の場所。港のブランドもなく、交通の便も悪く、ふぐのブランドもない。
しかし、目の前に広がる日本海でとれる新鮮素材とふぐを知りつくした職人がいる。
だったら、最高の素材と最高の技術をもって品質で勝負するしかない!
『品質第一主義』、『うまいもんを作る』それが和田珍味が選択した生き残るための道でした。 |
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和田珍味は、 『品質第一主義』の志を掲げ「ふぐの味醂干」の開発後も、さらなる新商品開発を行い、「ふぐの一夜干」、「ふぐの燻製」へとチャレンジを重ね、うまいもん作りに励みました。
平成7年、和田珍味の自慢の商品を全国から優れた水産加工品が集まる「第四十四回全国水産加工たべもの展」に出品しました。
名だたる商品、有名な商品をはじめ2700点余りの商品の中から和田珍味の「ふぐ一夜干」が「水産庁長官賞」を受賞しました。
あらゆる不利な環境の中、長きに渡って素材の良さと技術力で『うまいもんづくり』をし続けていた和田珍味が全国的に認められた瞬間でした。
その後、「ふぐのたたき」、「ふぐぞうすいスープ」も全国水産加工たべもの展において水産庁長官賞を受賞し、平成7年〜11年の4年間で3度も水産庁長官賞を受賞しました。 |
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平成13年5月、最後の最後まで現場に立ち続け、最上級のふぐ加工技術を追求し続けた和田正治の人生に幕がおりました。
二代目和田信三。父の背中を見て育った和田信三は、初代から「品質本位」の志をしっかりと受け継ぎ、新しい展開に積極的に取り組んでいます。
お客様にお届けするものは「うまいもん」でなくてはならない。
お客様に「あそこのはうまいぜぇ。最高だよ。」と言って頂きたい。 |
現在、和田珍味は、お客様に「うまいもん」をお届けするためにふぐを中心にさまざまな魚介類の加工品において、先代が築き上げた伝統を守りつつ、日々研究を重ねてよりよい商品開発を行っています。
初代和田正治が目指したあらゆる不利な状況の中でもお客様に認められる商品。品質本位の『うまいもんづくり』こそ和田珍味の商品作りの原点なのです。 |
私たちが皆様へ石見のうまいもん、安心・安全をお届けします |
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