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【和田珍味のルーツ。五十猛(いそたけ)】 どこまでも続く白砂青松の砂浜。くり返し寄せる白波は、ときには雄々しく、ときには穏やかにいつまでも止むことなく暮らしの中に溶け込んでいます。 島根県のちょうど中心にあたる大田市。五十猛(いそたけ)町は、その大田市の北西部に位置する日本海沿いの町です。 古来、天然の良港に恵まれ、地元の人々は漁師として、海とともに生きてきました。五十猛町には、字の如く、五十猛命(イタケルノミコト)伝説が神話として語り継がれ、沖に見える「神島」という島には、父スサノオノミコトとその息子イタケルノミコトという神様が天下ったという伝説があります。また、五十猛のある大田市は、戦国時代〜江戸時代にかけて世界の3分の1もの銀を産出した石見銀山で栄えた町でした。 この歴史ある石見銀山は、2007年7月に世界遺産登録されました。 |
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ふぐといえば、下関というイメージが強いのですが、五十猛の神島の沖一帯では、昭和20年ごろ、戦前から始まり戦後さらに盛んになったふぐの延縄漁が行われていました。 特に11月から3月の彼岸のころまでは、「ふぐ縄漁」といい、ナメタフグ(マフグ)をはじめトラフグなどを水揚げする船が20〜30隻はあったといいます。それだけ、神島沖ではふぐが大量に揚がった時代があったのです。 そうして水揚げされたふぐは、市場に出荷されるだけではなく干カレイや塩サバなどの「干もの」などとともに鮮魚として、先代社長和田正治をはじめ、地元の女性とともに「カンカン」と呼ばれる入れ物を背中にかつぎ、石見から出雲地方まで行商に出たといいます。 ふぐは、あっさりとした白身の魚で、上品な風味と味わい深さに定評がありました。そのふぐを行商に歩くみちすがら、「もっと美味しく加工して多くの人に食べてもらいたい」と考え、来る日も来る日も研究を重ねた人物があります。 それが、和田珍味の創立者和田正治でした。 |
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時代は、ちょうど戦後の復興期のころでした。昭和20年のはじめに敗戦により戦地から帰ってきた和田正治青年は、戦地でふるさとの海を見ることなく永眠した兄に代わり、大正の末期から干物の製造に取り組んでいた家業を継ぐことを決心しました。 何でも納得するまで取り組む性分だった和田正治は、前の浜に毎日のようにあがってくるふぐを手に取り、考えました。 「このふぐを、誰にでも美味しく食べてもらえるにはどうしたらいいだろう・・・」と。 和田珍味先代社長 和田正治 それからというもの、試作に明け暮れる毎日が始まりました。浜田市にある水産試験場に毎日、弁当持参で通い、研究を繰り返し、朝も夜も何千回ともなく試作を重ねました。 そして、ある日とうとう、「これなら、喜んで食べてもらえる」という、ふぐの味醂干が完成したのです。 |
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しかし、完成した製品を食べてもらうためには、売らなければなりません。 山陽方面に営業に歩く度に訪ねられる五十猛の場所。 繰り返し説明し、そして、試食をしてもらい、 「私には、“旨い”と言われる製品をつくる情熱があります。改良すべきところがあれば、どうか言ってください」と、頭を下げる正治。 その父の姿を見ていた和田信三現社長は語ります。 「まさに、すべてをなげうち、命を賭けた不眠不休の取り組みでした。」 とにかく品質にこだわったのは、それがふぐ加工の道で生き残るための条件だったからなのです。 |
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その後、和田正治はふぐ一夜干、ふぐの燻製へとチャレンジを重ねていき、平成7年から11年の4年間に「ふぐ一夜干」、「ふぐのたたき」、「ふぐぞうすいスープ」が全国より2700点余りが出品された全国水産加工たべもの展において、水産庁長官賞を3度も受賞するなど、全国へ誇れる製品を世に送り出しました。 平成11年4月、本社工場からすぐの国道9号線沿いに直売店である和田珍味本店がオープンしました。2007年7月に世界遺産登録された石見銀山から約15分。国道9号沿いからどこまでも続く青い日本海と白い砂浜が見渡せる最高の場所。 世界中からお出になるお客様に対して最高のおもてなしと、「石見の“うまいもん”」をお届けしたい。 知名度、立地的な苦境を品質本位の製品作りで乗り越えてきた和田正治は、最後の最後まで現場に立ち続け、平成13年5月、最上級のふぐ加工技術を追求し続けた人生に、78歳で幕を降ろしたのでした。 |
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ふぐ味醂干 ふぐぞうすいスープ ふぐ一夜干 現在は、初代から二代目へと「品質本位」の志を受け継ぎ、新しい展開に積極的に取り組んでいる和田珍味です。 今後もふぐを中心に、さまざまな魚介類の加工品において、先代が築き上げた伝統を守りつつ、日々、研究を重ねてよりよい商品開発へ向けて歩んで行きたいと、二代目社長の熱い眼差しが青く輝く日本海に注がれています。 |